宮代町議会 2023-03-23 03月23日-06号
昭和61年からの定義というものが私の手元の資料にありますけれども、これを見ますと、いじめとは、自分より弱い者に対して一方的に身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、相手が深刻な苦痛を感じているものであって、学校としてその事実を確認しているもの、これを昭和61年からいじめの定義というふうにしておりました。
昭和61年からの定義というものが私の手元の資料にありますけれども、これを見ますと、いじめとは、自分より弱い者に対して一方的に身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、相手が深刻な苦痛を感じているものであって、学校としてその事実を確認しているもの、これを昭和61年からいじめの定義というふうにしておりました。
昭和生まれですが、やむを得ず。だから、それが共働きで、子供がそこで育っていくから、女性職員の方も、多分そういう場合はパートナーとか、お近くに祖父母の方がいれば頼むし、そうやってしていくのが人生だと思うんですよ。
狭山湖駐車場内に設置されておりますトイレにつきましては、昭和59年に建設された鉄筋コンクリート造のトイレでございまして、汚水の放流先がないということもございまして、泡で洗浄するタイプのくみ取り式のトイレとなっております。
昭和61年に生誕100年を記念して造られた葭子直筆の歌碑、これが高さ2.5m以上もあるような大きな石碑なんですけれども、三ヶ島家の本家が代々神主を務めております三ケ島地域にあります中氷川神社という境内に設置がされております。地元住民が金銭を出し合い、この場所に設置された経緯があります。当時の関係者が多く他界されて、今後の管理等課題にもなっております。
毛呂山町役場庁舎は、昭和55年度に建築され、築後42年を経過しておりますが、これまで行政施設の中心的な役割を果たしてきた建物でございます。現状の庁舎外壁部にはひび割れや雨水等の影響による白華現象等の経年による劣化症状が目立つようになり、平成26年度には特に劣化が進んだ1階南面の外壁改修工事を実施してまいりました。
次に、この事業を検討しようとなった経緯でございますが、昭和41年に竣工いたしましたこぶし団地は、建設から間もなく60年を迎えますが、建て替えに関しましては一団地認定に係る手続が非常に煩雑であり、現実的には建て替えができない状況となっております。
昭和57年2月27日にこの宮代町の空に返りました。 斎藤甲馬町長は、百間村、そして須賀村、この2村を合併し、そして新しい宮代町の発展のために尽くしてこられました。時代に合わせてまちづくりをしっかりする、それが斎藤甲馬町長の哲学であったと思います。 先輩の唐沢議員がいつも言っていました。この進修館、そして笠原小学校は、50年後に宮代町町民に評価される。
昭和40年代中期頃までに新規の布設が中止されましたが、宮代町では、水道管でアスベストを使用している管がありますか。あれば何メートルで、場所はどこですか。お答えください。 以上でございます。 ○議長(合川泰治君) 山下秋夫議員の質問に対する答弁を求めます。 まちづくり建設課長。
昭和にできたタウンの課題を解決していく動きの第一弾、椿峰地区のまちづくりについては、地区計画策定に向けた基礎調査を実施するとともに、計画素案の合意形成を図るため、まちづくり協議会による説明会及びアンケート実施の支援を行いました。
旧庁舎につきましては、昭和43年に建築されたものですので、現行の建築基準法上の耐震基準を満たしておりません。この点からは大規模な地震が発生した場合などには、崩落のおそれが全くないとは言い難い状況でございます。 以上でございます。 ○大石健一議長 2番 天野 敦議員 ◆2番(天野敦議員) 御答弁ありがとうございます。
小林氏は、市内妻沼中央にお住まいで、昭和33年生まれの64歳でございます。平成11年にこばやし小児科を開設、熊谷市医師会の会長や理事などを歴任されている方でございます。 何とぞ議会の御同意を賜りますようお願いを申し上げまして、提案説明といたします。 以上でございます。 ○福田勝美議長 以上で提出者の説明は終了いたしました。
所沢市は昭和12年に水道事業を開始し85年がたっており、水道施設の更新がまた大きな課題にもなっているのではないかなというふうに推測されます。 こちらは磯上下水道局長のほうにお伺いいたします。 初めに、所沢市水道ビジョンには水道総延長が令和元年で約1,024kmとの記載がありますけれども、最新の所沢市の水道管網の延長距離をまずお示しいただきたいと思います。 ○谷口雅典副議長 答弁を求めます。
最後になりますが、コロナ禍で厳しい状況は続きますが、昭和、平成、令和と、いつの時代においても必要で大切な施設です。子供たちや大切なお子様を預ける保護者の皆様のために、事業運営頑張ってください。見守り続けてまいります。 以上をもちまして、本議案に対して賛成とさせていただきます。以上です。 ○山田敏夫議長 塚越洋一議員。
印鑑登録証明書の交付につきましては、所沢市印鑑条例において、国の事務処理要領に基づき、昭和51年の制定当初より、印鑑登録証を添えて印鑑登録証明書交付申請書により市長に申請しなければならないと規定してあります。
ベッドタウンにはなるが、夫婦共働きの時代、昭和の高度成長期のベッドタウンとは様相が違う。昼間は誰もいない、東京と比べて、自分がまちに何をするのかではなく、まちが何をしてくれるのかだけを考えがちな、自分事ではないまちが出現しかねないとも危惧しております。
昭和61年です。 以上です。 ◆大山美智子議員 61年は1986年ですので、36年になると思います。その頃だと、まだ駅舎についてはエスカレーターの設置を想定していないで建設されたのでしょうか。 次ですけれども、これまでエスカレーターの設置に向けて関係機関へ要望を上げたことはありますか。また、今後の働きかけについてはどのようにお考えでしょうか、お願いします。 ◎荻野秀夫総合政策部長 お答えします。
(従事者の義務) 第10条 個人情報の取扱いに従事する職員若しくは職員であった者、前条第2項の業務に従事している者若しくは従事していた者又は議会において個人情報の取扱いに従事している派遣労働者(労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の保護等に関する法律(昭和60年法律第88号)第2条第2号に規定する派遣労働者をいう。以下この条及び第58条において同じ。)
塚越のけやき荘は、スカイウェル1台、昭和のマッサージ機が1台、このマッサージ機は横でぐるぐる回しながら何かいろいろごろごろ背中動かしたりとかする。そして、ここのスペースは、お年寄りが立ち寄れて座れるというのがあるんですけれども、気がついたのは下の写真のソファーが破けてテープで貼ってあるというところでした。これが置いてあるソファー全てこういう状態になっていました。 松原会館です。
旧上福岡市の都市計画道路は、昭和29年に初めて都市計画決定されました。その後、当時の福岡町は昭和30年代中頃に霞ケ丘団地及び上野台団地の入居が開始され、急激な人口の増加と市街化が進みました。この2つの団地の整備により、上福岡駅の利用者数の増加に対応すべく、昭和35年に上福岡駅舎の改良工事が行われました。
蓮田市の公共下水道事業は、昭和39年に都市計画決定され、昭和53年に事業認可を得て工事に着手し、平成3年4月から供用を開始しております。現在の計画は、蓮田市全域約2,728ヘクタールのうち、全体計画面積は約1,616ヘクタールで、このうち事業認可区域面積は約819ヘクタールでございます。令和3年度末時点における整備済み面積は約783ヘクタールで、整備率は約95%となっております。